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尾崎行雄について

1.選挙について

『投票の心得』

  1. 何よりもまづ、自分はいかなる政治を希望するかという自分の意思を、はっきり決めてかかることが大切である。選挙は国民の意思を国政に反映させるために行われるというが、有権者それ自身に政治的意欲がなければ、すなわち反映する本体がなくては、いくら投票しても意味がない。・・・・

  2. 「出たい人より出したい人を」・・・・有権者のための選挙である以上かくあるべきが当然であろう。

  3. 金銭や、ごちそうや、因縁や、情実で投票しないのはもちろん、選挙の費用は、有権者の持ち寄りにしなければならないこと。・・・・

  4. 買収・ごちそう・哀訴・嘆願など、一切の不正な選挙運動をする候補者には、絶対に投票しないこと。

  5. 一から十まで政府に反対する議員も困り者だが、一から十まで政府に盲従する議員よりはましだ。常に政府党が勝つ選挙よりも、どちらかといえば、在野党の方がうけのいい選挙の方が、民主政治の趣意にかなっている。

  6. ・・・・立憲政治が、結局政党内閣制度によって運営せられねばならぬのであるから、今の政党を向上させて、真の公党に育て上げる準備のためにも、各政党の政綱政策をまじめに研究し、自分の希望するような政治をやる政党はどれか、よくよく見極めてから投票すること。

  7. 演説会場その他あらゆる機会をとらえて、有権者は各政党または候補者に向かって、具体的な政策を明示するように要求しなければならない。・・・そうして政党本部で発表した政策と候補者の言質を箇条書きにし・・・いやしくも公約を裏切った政党や議員に対しては、次の選挙の時に絶対に投票してやらぬことを覚悟すれば政党も議員も、完全に有権者によって、リードせられるようになる。

  8. 議場の内外で国会の品位をけがすような行為をするもの(下等な野次や、殴り合いをするようなものは、この部類に入れる)には投票しない。当選後、公明正大な理由もなく、選挙民の諒解も得ずに党籍を変更し、または他の政党に入党するようなものには投票しない。・・・

  9. ・・・また多数党でなければ何も出来ないから、投票しても損だと考えることも、「長いものには巻かれろ」式の封建思想のなごりであって、多数少数は有権者が投票して決めるのだという民主政治の「いろは」さえもわきまえぬもののたわごとである。・・・

川上を濁しておいて、下流の清きを期することはできない。川上の選挙が濁れば、川下の政治も濁るのが当たり前である。腐った水にボウフラがわくように、腐った選挙からは自堕落政治のボウフラがわく。日本民主化の大建築は、正しい選挙の土台の上にでなければたてることはできない。

尾崎行雄『民主政治読本』(昭和22年)、『尾崎咢堂全集第十巻』70頁より。

『誰のための選挙か』

大切な選挙権をどう使えばいいか、投票は誰のためにするのであるか、自分の不利益になるような法律をつくらせない代表者を選ぶために使わねばならぬ。自分自身のためにする投票でなければならぬことは、もう言わずして明らかなはずだが、我が国の有権者のうちには、今でも、選挙は候補者のためにするものと心得ている人がかなりたくさんあるようだ。

候補者のための選挙だと思えばこそ、「頼まれたから」「金をくれたから」「義理があるから」いれてやるという気にもなる。もし選挙は自分の生命財産その他の権利自由を守るための番人を選ぶことだと悟れば、どんな馬鹿でも「頼まれたから」いれるのではない、こちらから頼んで出てもらうのだ。候補者から金をもらうどころか、選挙の費用は、頼む側の有権者の方で持ち寄るぐらいにせねば、信用のおける番人は出てくれないくらいのことは気がつきそうなものである。


尾崎行雄『民主政治読本』(昭和22年)、『尾崎咢堂全集第十巻』66頁より

『有権者中心の政治』


民政維新は正しい選挙から始まる。正しい選挙こそ民政維新の土台である。もしこの土台が崩れれば、立憲政治の機能は何から何まで将棋倒しに倒れてしまう。
・・・立法府中心の政治ということは、選挙中心の政治ということである。選挙中心の政治ということは、とりもなおさず有権者中心の政治ということである。それなのにわが国の有権者の多数はまだ自分の一票に憲政を活殺する程の力があることを知らない。その尊い理由を目で読み、耳で聞いても、それほどの値打ちがあるものとはどうしても信じられない。そこで、「頼まれたから」「金をくれたから」「ごちそうになったから」「義理があるから」いれてやろう。甚だしいのは「棄権をするとうるさいから」「迷惑だがいれに行こうか」と、選挙権を厄介者扱いにするものさえある。我が憲政のふるわない病原は、全くここにあると思われる。

・・・国民生活の幸不幸は、全く法律の出来具合いかんで決まる。・・・いかなる場合にも、絶対に国民を裏切ることのない法律制定者(立法府)をつくるか否かを決する力は、一票の選挙権である。この一票こそ人間の生命財産その他の権利自由を確保する最後唯一の自衛権であることを知らなければならない。

 

尾崎行雄『民主政治読本』(昭和22年)、『尾崎咢堂全集第十巻』64頁より。

 

本当の人間をつくる教育

・・・今までは教育までが、軍閥や財閥のために、天皇のためにという名目のもとに、いろいろな偽りや迷信で歪められていた。だからそれは人間に仕上げる教育ではなくて、むしろ人間を奴隷にする教育、鳥や獣にする教育であったのだ。それでその結果、自分が何であるかを知らない、人間としての魂を持たぬものができあがったのだ。

・・・諸君の生命や財産は誰のものでもなく、自分のものである・・・それと同じように、諸君が学校で教育を受けるのも、自分のためであるのだ。自分を人間らしい人間、鳥や獣と違った、本当の人間にするためであるのだ。自分のためといっても、何もかも自分さえよければよい、人の迷惑などはかまわないというのではいけない。それではまた鳥や獣になってしまう。自分を本当の人間にし、人間らしい生活をしようというのには、人にもそうしなければだめだ。

今、さかんに自由という事が言われているが、自由もその通りで人の自由を尊重しなければ、自分の自由は失われる。自由はわがままとは違う。だからお互いの自由を尊重し合うため、法律や義務やその他のきまりを守らねばならぬのだ。英国人は、非常に自由を重んじる国民であるが、またよく法律を守る国民でもある。どうしたらよく法律を守れるかと考える国民だ。日本人は、どうしたらよく法律をくぐってうまいことができるかと法律をくぐることを考える国民だと言われていた。これは本当の人間をつくる教育が行われていなかったからである。今われわれは、奴隷から解放されて、自由のある独立した人間となったのであるが、はたして、皆本当の人間になり、人間としての魂を取り戻すことができたであろうか。
 

尾崎行雄『わが遺言』(昭和26年)、『尾崎咢堂全集第十巻』345頁より。